物流崩壊が叫ばれる今、なぜ「ドライバー」という道を選ぶ人がいるのか?
「2024年問題」が連日ニュースを賑わせ、現場の過酷さや収益性の低さがこれほどまで可視化されている今、世間の皆様は不思議に思っているのではないでしょうか。
「これだけ破綻していると言われている業界に、なぜわざわざ入る人がいるのか」「なぜ、今ハンドルを握っている人たちはいなくならないのか?」
そこには、美談だけでは語れない「現代の物流構造」と。私自身の経験を含めた「切実なリアル」があります
「誰でもできる」という救いと罠
かつて、運送業は「地図を丸暗記し、超人的なスピードで駆け回る」という、一握りのセンスと体力を備えた職人技の世界でした。しかし、その壁をデジタルが壊しました。
AIが最適なルートを引き、スマホが次に配る荷物を指示してくれる。Amazonが掲げた「誰でもできる」というスローガンは、私のような「配達のセンスは期待できないけれど、運転は好きだ」という層にとって、大きな入り口になったのは事実です。
私自身、佐川急便という「THE・職人」の世界から一度離れ、数年のブランクを経てAmazonのラストワンマイルに戻ってきた一人です。もし、あの頃のような「センスの競い合い」だけだったら、私は戻ってこなかったかもしれません。「自分でもできるかもしれない」と思わせる標準化が、現場の担い手をかろうじて繋ぎ止めているのです。
ライフスタイルが規定する「消去法」の選択
なぜ、それでも人が残るのか。その背景には、今の日本のライフスタイルの変化が密接に関わっています。
今のラストワンマイルを支えているのは、主に独身層や家計を補い合う共働き層です。拘束時間が長く、収入が不安定になりやすいこの仕事は、一人の稼ぎで家族全員を養う「昭和のモデル」では維持できません。
自分の時間をすべて仕事に投じられる、あるいは世帯全体で帳尻を合わせられる。そんなライフスタイルを持つ人々が、消去法的に、あるいは適応して現場を支えているのが実態です。
「選べない」という業界の閉塞感
コンビニでバイトを探すなら、「あっちの店のほうが時給がいい」「あそこのオーナーは話がわかる」と比較して選ぶことができます。しかし、ラストワンマイルのドライバーには、その「選ぶ自由」が、ほとんどありません。
間にプロバイダーを挟む構造上、どの窓口から入っても条件は、ほぼ横並び。均一化されています。努力やスキルが直接的な報酬の差につながりにくく、より良い条件そ求めて他へ移るメリットも薄い。
この「どこへ行っても同じ」という硬直した構造が、皮肉にも「そこにとどまるしかない」という状況を生んでいます。
「人がいる」のではなく「人が入れ替わっている」だけ
世間は「ドライバーがいなくならない」と思っていますが、現場の景色は違います。実際には、凄まじいスピードで人が入れ替わっている(消費されている)だけなのです。
「誰でもできる」という間口の広さに惹かれて入ってきたものの、現場の過酷さと報酬の不均衡を目の当たりにし、短期間で去っていく。そして、一度この業界に絶望して離れた人が戻ってくるケースは極めて稀です。
今、物流が回っているのは「定着」しているからではなく、絶え間ない「穴埋め」が続いているからにすぎません。
善意とシステムに甘える限界
「誰でもできる」というシステムへの依存、特定のライフスタイル層の献身、そして選ぶ自由のない構造。今の物流は、こうした危ういバランスの上に成り立つ「砂上の楼閣」です。
私のように「運転が好きだ」という純粋な動機を持つ人間が、安全運転というポリシーを守りながら、無理なく働き続けられる。そんな当たり前の選択肢が保証されない限り、この砂の城はいずれ崩壊します。
「まだ人がいるから大丈夫」ではなく、「なぜ、彼らはそこにいなければならないのか」を問い直すこと。それが、物流の未来を照らす唯一の指針(コンパス)になると私は信じています。
Logi Compass — Navigating the Truth of Logistics —
物流の裏側にある構造を、これからも見つめていく。 責任だけが増え続け、報酬が変わらない。 その歪みの正体に、私たちは向き合い続けます。
